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|←back ------------------------- 「昼寝」 ------------------------- 交の両親は、ある日突然、いなくなった。 いなくなった、という表現が正しいかどうかは知らないが、とにかく、交ひとりをおいて姿を消してしまった。交はそのことについて「両親がいなくなった」としか認識していないが、現在、交が身を寄せている叔父…高校の教師をしている…の口さがない生徒たちによれば、どうやら交は世間的には親に捨てられてしまったようだった。 さて、高校教師をしている叔父、糸色望は相当な変わり者であったが、身よりのない交を引き取り、それなりにちゃんと世話をしている。 交自体、あまりおしゃべりなほうでもないし、望も家では物書きをしていたり、翌日の授業のプリントを作ったりと、それなりに忙しくしているので過干渉もしてこない。男二人、たまに望の生徒が夕食を作りに来たり遊びに来たりする以外は、静かに暮らしている。 叔父は背こそ高いが痩身で、一人暮らしの成人男子のわりにはすっきりとした身のこなしをしており、交の知る大人の中でもずいぶんイケている。性格はびっくりするほど悲観的で死にたがり。ことあるごとに絶望し、すぐに首を括ろうとするのであった。 生徒たちは望のそんな「死にたいサイン」を読み取るのがうまく、荒縄を首にかけたがる望を引き留めたりなだめすかしたり、時には突き放したりしてうまくやっているようだ。見た目はまともだが行動がまともでない叔父はしかし、交の目から見て、生徒たちに愛されているように見えた。 あんなにみんなに愛されて、どうして死にたくなるのだろうか。交などは親に捨てられても死にたいなどと思ったことはない。 愛され慣れている望は、生徒も交もわけへだてなく淡泊に可愛がった。たまには鬱陶しがられる事もあるが…とにかく交にとって居心地の良い、第二の我が家が叔父の側であった。 ------------------------- 秋も深まってきたある休日、望が買いあつらえてくれた子供用のトンビのコートに初めて袖を通した交は、昼寝している望を置いて近所の大きな本屋へ向かっているところであった。 ガラスに映る新しいコートはとても自分にぴったりで、嬉しくてニヤニヤしてしまう。 「あれ、交くん、いいコートを着てるね」 不意に本屋で声をかけられた。望の生徒、工藤 准であった。 准は叔父の生徒の中ではいちばんまともで、無類の本好きで、交をよく構ってくれる。 「コレ、望に買ってもらったんだ」 「そうか、それは良かったな。よく似合ってるよ」 なに探しに来たの?と問われ、交は少年誌を指さした。少年誌は巻頭にアイドルの写真があるので交は好きだった。 「家まで送ろうか?」 「だいじょーぶ」 「でも一人で大丈夫?」 「だいじょーぶっ」 正直なところ、准がやたらと部屋に来たがるのは、交と遊んでくれるからと言うより、もしかして望に会いたいからではないかと思っている。そのくらい、准が望を見つめている時間が長いように、交には見える。自分をダシに使われるのはいい気がしない。 こどもだからと言ってあなどってはいけない。こどもながらに人の気持ちというのには敏感なのだ。 部屋に戻ると望はまだ昼寝をしていた。手には読みかけの小説もそのままに、最近出したばかりのコタツにもぐって、座布団を抱え込んで横向きに眠る叔父はまるで子供のようであった。 顔をのぞき込むと、いつも鬱々とした死にたがりの表情はどこへやら、この世の平穏を我がものにしたような幸せそうな寝顔だ。 うすく開いた口のはしからよだれがはみ出している。 「まったく、だらしないやつだ」 交はため息をつき、寝ている望の手から本を取り上げようとした時に、いつもはかっちり着込んだ袖もとがゆるく開かれていて肘まで見えて、そこから幾筋もの傷跡が手首に刻まれているのを見つけてしまった。 「………」 まだ幼い交にも、それがリストカットの痕であることぐらいはすぐにわかった。ダテに大人向けの雑誌を読んで耳年増でいるわけではない。 いつ作った傷なのか、よくよく目をこらさなければ見えないくらいだ。あと1年もすれば消えてしまうような浅い傷だった。教壇でチョークを握っても、生徒たちには気づかれないだろう。 治った切り口から新しい皮膚が盛り上がり、うすい桃色の痕になっている。いくつもの淡い筋のなかに、大きく斜めに切り開かれた二本の切り傷がまるで「×」と読めるようなものがあった。 それを見た瞬間、交に説明できない衝動が起きた。哀れみなのか、呆れなのかもわからない。ただ、この叔父を守らなければならない、という保護欲めいたものであった。 (いつ、どうしてこんなにたくさん自分の腕を切ったの?痛くなかったの?オレが来てからじゃないよね?何がそんなにつらいの?オレが望にしてやれることはあるの?) 耐えきれず、交は横向きに寝ている望に被さるようにしがみついた。 と、ようやく望が目を覚ました。 「あれ、交。帰ってきていたんですか」 「あ」 寝起きのとろんとした目は、手首の痛々しい傷跡に反して、腹が立つほど平和そのものだ。 「おや、寝ている間にもう日が暮れてしまったんですねぇ」 「腹減った!早くメシにしよーぜ」 交が言うと、望は「わかりましたよぉ」などとむにゃむにゃ言いながら起き上がった。 ------------------ 交くんの春の芽生えでございます。 (2007/9/2) ------------------ Copyright by HATCH All Rights Reserved. |