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|←back ------------------ 「However, it is only it.」 ------------------ 8歳のニアがハウスにやってきた頃、ニアより2つ年上のメロはもうハウスの同年代の子供たちのリーダー格になっていた。 「新しい子が入ってきたみたいよ」 同じく古株とも言えるリンダが、メロに言った。メロが窓から外を眺めると、車からその子供が降りるところだった。真っ白な塊がもぞもぞと車から降りるのを見て、メロは羊かアンゴラウサギが来たのかと思った。 ハウスに入ってくる子が偽名なことは多い。なぜかは知らないが、メロも自分の本当の名前をここでは封印されていた。…その理由はのちにわかることになるのだけれど。 果たして、その子供も名字をもたず、ただ「ニア」とだけ紹介された。 女の子か男の子かも判然としない、そもそも、この子はちゃんと話ができるのかさえ怪しい。先ほどから、一言もしゃべらないからだ。 「メロ、ニアの面倒をみてあげてね」 年下の子供の面倒を見るのは、リーダー格のメロの仕事だった。 ニアは上目遣いにチラリとメロを見ただけだった。白い肌にふわふわの銀髪、子供のくせに高そうなスーツを着せられたニアはやはり一言も口をきかない。 うわあ、また面倒な子が入ってきたなあ、とメロは思った。 ----------------------- メロがなぜハウスに来ることになったのか、メロは思い出したくない。あまり楽しい過去でもなかったからだ。どうしようもない母親から生まれた。父親ははじめから居なかった。メロはいつも飢えていたし、母親はいつも違う男と寝ていた。クローゼットに押し込められて夜は寝かされた。ベッドは母親と男が使った。世の中と神を呪った。子供の頃から悪いことを覚えた。メロは生きていくために人殺し以外の悪いことは何でもやった。自分の体でも、金になるなら金にした。頭の回転が速い子供だったので捕まるようなヘマはしなかった。 ただ、学校へ行きたかった。もっと世界を知りたかった。自分の正しい居場所がほしくて、いつも新しい生活にあこがれていた。 どうやって学校へ行ったらいいかもわからなかった頃、たまたま友人に誘われて行った感謝祭の掲示板で奨学金制度のことを知った。あとはもう、ひたすらに努力した。母親に何度も否定されたが、メロはあきらめなかった。そして、ついにここまできた。 そのときだけは神の名を呼んだりもした。 ----------------------- 「ニア、おまえどこから来たの?」 ニアのちょっとしかない荷物を持ってやりながら、メロは寄宿部屋へニアを案内した。メロの問いかけに、返事はない。 「そんなスーツを着てるなんて、金持ちの家だよな」 その言葉にニアは、改めて自分のスーツに触れていた。耳は聞こえるようだ。 「金持ちなら金持ちの子らしく、もっといい学校に行けばいいのに」 「このスーツが私の全財産です」 いきなりニアが答えた。 「なんだよ、しゃべれるんじゃん」 「私はこのスーツと一緒に今日、捨てられました」 メロは思わずニアを見る。しかし、ニアはとりわけ感情も出さず、人ごとのように言った。 「私はスーツなんか欲しくなかった」 ----------------------- ニアはイギリスの郊外の貴族の子供だった。貴族とは名ばかりで、今や落ちぶれた一族ではあったが。先祖が残した資産をニアの両親は食いつぶして生きていた。 ニアはその家の3番目の子供で、一族の誰とも似ていなくて、一族の誰からも浮いていた。 高すぎる知能のせいか、父親とは特に相性が悪かった。父親は真実を見透かすような目をしたニアを恐れていた。 ニアは学校に行けなかった。周りの人間とコミュニケートすることができず、無理に学校に行かせると鬱がひどくなった。だが父親は精神科にニアを連れて行くことを拒んだ。一族の恥だと思ったのだろうか。だから精神的な疾患があったのか、正確にはわからない。単にその学校が向いていなかっただけかもしれないし、本当に病気だったのかもしれない。 自室にテレビもパソコンもあったので、世界はそれで十分すぎるほど知ることができた。通信教育も自由にさせてもらった。そして、早い段階で、自分はほかの人間と違うことを悟った。 それにしても退屈だった。そして孤独だった。 7歳になったころ、父親はニアを家から追い出すことにした。引きこもるのはこの街の環境が悪いからだ、自然に触れれば少しは良くなるだろうという理由で、遠い遠い親戚夫婦の田舎町に引き取られた。 畑と牧場に囲まれたその町は、少しだけニアを退屈から解放した。動物は嫌いではなかった。 親戚の家には男の子が一人いて、ニアより10歳年上だった。高校に通っている彼は、ニアが学校に行かないことを怠慢だとののしった。私は怠け者なのだろうか?ニアは思った。 ちらりと覗いた彼のテキストはニアには簡単すぎた。あんな簡単な問題を解けないなんて、そっちのほうが怠けてる。 少しは気に入っていた牧場暮らしができくなったのはその後すぐのことだった。例の17歳の彼が、何を血迷ったかニアによからぬ気を起こしたのだった。 7歳のニアは女の子のようであったし、かなり顔立ちの整った部類であった。しかし一種異形のオーラを持つ、率直に言えば気味の悪い子供だったので、大人を始め同年代の子供にも愛されるタイプではなかった。だからニアはこれまで誰かに好意をかけられたことなどなかったので、びっくりした。いや、17歳の彼が持ったのは好意ではなかっただろうが、どちらにしても…自分に興味を向けられたことに驚いた。 驚いている隙に彼の部屋に連れ込まれた。急な展開についていけずジッとしていると、彼はますます興奮したようにニアを裸にした。さすがにこれ以上はちょっと…と思っている間に、運良く(彼にとっては運悪く)彼の両親がこの事態を発見した。 あとはもう、修羅場だ。思い出すだけで面倒だ。 遠い親戚の気味の悪い子供よりは自分の子が可愛いに違いない。 親戚の家を追い出されることになったニアは、ちょうど実家に届いた一通の手紙の所為で実家に戻ることになった。 一通の手紙とは、あなたのお子さんは天才なのでうちの学校に入りませんか、というような内容の手紙だった。ニアは自国で有名な童話を思い出した。ある日自宅に入学許可書が届いて、魔法学校に入るアレだ。 その手紙の真偽はもはやどうでも良く、両親はニアを手放せる喜びで一も二もなく快諾した。自堕落な両親には珍しいほどの素早さで入学手続きは済み、ニアは着たくもないスーツを新調させられた。 両親が、突然ニアの身の回りのものを整えはじめたので、ニアはなんとなく気づいた。ああ、自分はこの家に戻ってくることは許されないのだと。 ----------------------- ハウスの人たちはニアを必要以上に干渉せず、世話係のメロだけが、時折やってきてはトイレはここ、風呂はここ、食堂はここ、と、ぶっきらぼうに説明しては去っていった。 早速スーツを脱ぎ捨てて着心地の良いパジャマに着替えたニアは、小さなボストンバッグから唯一執着していると言ってもいい、お気に入りのテディベアを取り出し、抱きしめた。 脇に抱えると、ようやくいつもの自分が戻ってきた。緊張していた体が楽になり、くたりと床に寝そべる。ああ、疲れた。 今日はさすがの母親も優しかった。最後だから当然か。 元気でね、あなたの幸せを祈っているわ、と言った母親は、今頃解放された喜びで乾杯でもしているだろうか。それともしおらしく、あの子を手放すのはつらかったのよ、とでも言っているか。 どうでも良いことだ。 さようなら、父さん、母さん。兄さんに姉さん。わたしの家。二度と会うことのないひとたち。 そのことに特別な感慨などない。そういう事実だというだけだ。 自分はやっぱり、感情のどこか大事な部分が欠損してるのかもしれないと幼な心に思った。 いつの間にか、眠っていたようだった。 ニアはふわふわした浮遊感にわずかに覚醒した。 薄っすら目を開けると、メロが一生懸命に自分を抱きかかえていた。よろよろと進む先は、ベッド。ニアを運ぼうとしているのか。 抱きかかえられる感じが心地よくて、ニアはそのまままた眠りに落ちていく。 ベッドに落とされるときに少しまた覚醒したけれど、眠くて目を開けられない。 「風邪ひくんじゃねーぞ」 夢うつつの向こう側で、メロがそういってブランケットをかけてくれる。 ありがとうございます。言ったつもりだが、ちゃんと言葉になっただろうか? ----------------------- かくしてニアにとって、この施設が文字通りの「ハウス」、帰る家となった。 やさしかったメロは、しかし、少しずつ成長するにつれニアをライバル視するようになった。そのくせ二人は決して離れることができない。ニアはメロをいつも近くに感じていたし、メロはニアを手放さなかった。 ある日、早熟なメロの挑発に乗って体をまさぐりあった。ニアはこの時はじめて、幼い頃、裸にされた意味を言った。わたしはあのとき、こうされるはずだったんだ。 メロはニアを恐れていた。2歳年下のニアに追い越される日がそう遠くないことを悟っていた。だから自分の上位を知らしめるために、こうした。ただそれだけのことだと、ニアもわかっていた。 だが…本当にそうだっただろうか? 少なくともニアにとって、メロは特別な存在、唯一の存在、自分が大人になって強い男になったら、メロを守りたい。メロの弱さを愛していたし、愚かだと思っていた。 わたしは今、メロに抱かれているが、いつかはメロ、あなたを抱きたいし、あなたに愛されたいと願っている。それは不可能な話なのだろうか? ----------------------- いま、ニアの側には3人の部下が居る。 レスター、ジェバンニ、ハル。みな優秀で、ニアの思考を現実のものにする。ニアにとってこの3人との出会いは僥倖であった。言葉に出したことはないが、3人には感謝しているし、手放したくないと思っている。 こんな風に、誰かを手放したくないと感じたのは始めてだ。かつてはメロを愛していた気がするが、手放したくない、などと感じたことはない。たとえ行かないでくれと叫んだところで、メロはニアを捨てて行くことなど平気でするだろう。 (メロ、今あなたはどこにいる?) 天国か、地獄か。以前知ったヒンディーの教えに習えば、もう生まれ変わっているところか。ブッダの教えなら、無か。 ああ、くだらない。ニアは思った。 天国だろうが無だろうが、メロはもうニアを捨てて行ったのだ。ただそれだけ。 メロは、わたしを捨てた。予想通りに。 ----------------------- (2008/03/09) ニアは、SPKの3人を心から必要としていればいいと思って書いた。 ------------------ Copyright by HATCH All Rights Reserved. |